映画評「デビルズ・バス」

☆☆★(5点/10点満点中)
2024年オーストリア=ドイツ合作映画 監督ヴェロニカ・フランツ、セヴェリン・フィアラ
ネタバレあり

18世紀中央欧州で実際に行われた蛮行を再現したドラマである。

アヴァンタイトルで赤ん坊を殺す女性が出て来る。アヴァンタイトル後自殺をした青年が出て来る。これを布石として物語が本番に入っていく。
 山村。違う村に生まれたアグネス(アーニャ・プラシュグ)が農家の息子ヴォルフ(ダーヴィド・シャイト)と結婚する。義母(マリア・ホーフスタッター)は露骨に嫁を非難しないが、子供を産めとの無言の圧力が強い。ヴォルフが性交を積極的にして来ず、その圧力によってアグネスは次第に精神を病んでいく。そして、何の罪もない子供を殺して告解し、首を刎ねられた後天国へ向かう。

これだけのお話であるが、キリスト原理主義絡みの野趣溢れる描写が強烈、それが最高潮に達するのが幕切れで、彼女の首から奔出した血を集めて、村人は飲むのである。
 キリスト教とくにカトリックやその他の原理主義的宗派では自殺は御法度で、教会は葬儀や墓地の提供を拒む。しかし、殺人をしても告解すれば赦されて天国へ行ける。そこで自殺したい人は殺人を犯すのである。日本でも死刑になりたくて他人を殺める人が数年に一度出て来るが、片や信仰の為に、片や死刑制度の為に殺人が生まれる。どっちもどっちだ。
 さすがにここまでの蛮行は余程のカルトではないと今では行われないが、原理的な宗派では自殺に関する考えは変わっていないはずだ。

そして、この映画を作った監督二人が何を目指して作ったかと言えば、明らかに抑圧される女性の生きづらさを表現することで(、それは今でも形を変えて続いていると主張しているので)ある。
 幕切れで突然明らかになる主張の為に作られたという印象を残す映画というのがたまに出て来るが、本作はその典型のように感じる。僕の映画観ではこの手は無粋で、勿論歓迎することができない。民俗学的に多大な興味を喚起し、そこから生まれる野趣が一定の魅力を生んでいるだけに、惜しい。

告解すれば他人を殺す方が自殺より罪が軽い、というのは、形だけとは言え日本人の多くは理解できまい。孔子も、殺人の罪は最悪ではないとしているが。

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