映画評「雪の花-ともに在りて-」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2025年日本映画 監督・小泉堯史
ネタバレあり
江戸時代の医療の偉人について描いた作品に「華岡青洲の妻」があり「赤ひげ」がある。「赤ひげ」の監督者・黒澤明の弟子に相当する小泉堯史が吉村昭の同名小説を映像に移した時代劇医療映画である。実話ものという意味では「華岡青洲の妻」に近い。本作にも少し関連する「蘭学事始」に関する本格的な映画を観たことがないが、誰か作らないか?
天保年間の備前。疱瘡(天然痘)の凄惨な現場に絶望感に苛まれる福井藩の町医者・笠原良策(松坂桃李)が偶然蘭方医・大武了玄(吉岡秀隆)と出会い、西洋医学の可能性を瞠目し、京都の蘭方医・日野鼎哉(役所広司)に弟子入りする。
そこで牛痘を利用した種痘という画期的な予防策を知るが、鎖国が大きく邪魔をする。鎖国がなくても当時の痘苗が長持ちしなかったから、笠原などの奮闘がなければ日本における種痘は数十年遅れたのではないか。
凡そ10年後(Wikipediaの情報に基づく)長崎から牛痘の瘡蓋を得た日野が長女に行った種痘が成功し、これを子供たちを通して繋ぐことで痘苗を絶やすまいと考えた笠原は、江戸にいる藩主松平春嶽の許可を得て福井に種痘所を設置した上で、地元の商人の子供たちを獲得するに成功するが、折悪く季節が真冬で京都から福井に抜ける山で関係者全員が遭難しかかる。
周囲の各宿屋の協力を得てこの難儀をくぐり抜けて喜ぶ笠原を迎えた糟糠の妻千穂(芳根京子)の顔が冴えない。恐怖とデマに踊らされた町民が引き受けないのである。これに事なかれ主義の役人が絡んでいることに気付いた彼は、藩の重職三人に嘆願書を届け、結局受け入れられる。
この古い小説がこのタイミングで作られた理由の一つは、反ワクチンという一見科学に基づいた陰謀論に危機感を覚えた人物が製作関係者にいたのではないかと思う。
反ワクチン主唱者に医学者がいることで勇気を得ている人も多いのだろうが、僕の知る限り彼らは医者と言っても感染症の専門家でもワクチンの研究家でもなく、アウトサイダーばかりである。医学を勉強していても所謂疑似科学の域を出ないのだ。その一人に厚労省の前で【超過死亡が20万に及ぶ】のデータを根拠に“こいつらは20万人を殺した”とアジった人物がいるが、何と言うことはなく、コロナで20万人近くが死んだだけの話である。コロナ・ワクチン技術の完全なる確認まで待っていたら死者は100万人くらいまで行ったのではないか(第1次大戦前後のスペイン風邪の、世界人口18億人に対する恐ろしい死亡者推定数5000万人~1億人を見よ。これを現在の日本の人口に当てはめると、350万~700万人。この時日本の死亡者が約38万人と相対的に少なかったのは今ほどグローバルでない時代の島国だったからだろう)。
2000人ほどのグレイな死亡者がいるのは事実であり、インフルエンザのワクチン被害が年10件前後であることを考えると確かに多い一方、確率を比較した時に1億近い人が少なくとも1回は打ってこの程度で済むなら少ないとさえ僕は思う。致死率の3乗くらいの死者が出てぎりぎり妥当と僕は思う(致死率が10倍であれば、1000倍のワクチン被害者)。血液製剤の薬禍と同列に扱うことはできないだろう。
本作の描き方では、藩の役人がそういうデマを吹き込みチンピラを雇って種痘廃絶に向けて暗躍したように見えるが、そうでなくても、この時代の人が種痘を恐れるのは科学的知識が皆無に等しいから仕方がない。役人が動かなくてもそういう現象が起きたことはある程度予想できる。
とにかくこの映画を観た後の、物語から得た感想は、コロナでワクチンを完成させた医学者・ワクチン開発者に感謝してもしきれないということである。反ワクチンなどとんでもない。
映画は時代劇らしくきっちりと落ち着いたカメラで撮っているのに好感が持てるが、実際には10年ほどの年月が経っていることを考えると、描出に経年をほぼ感じさせることがないのは弱い。最初のエピデミックで唯一生き残った少女はつ(三木理紗子)が受けさせる為に自分の子供を連れて現れたところに時間を感じる程度である。
山越えのシーンはなかなかのスペクタクルだが、子供の姿が見えないように見えたのはどうか。
僕の友人に反ワクチンに染まっている人がいる。メールでやり取りをしている時には凄い鼻息だったが、電話で僕が色々データを出すうち、上の2000人について“グレイ”という言い方に落ち着いたのは良かった。まだ反ワクだろうが、悪くない反応だ。 保険会社の担当女性と反ワクの話をした時に “コロナかワクチンのどちらかで死ぬのなら、 自分はワクチンの方が良い” と言っていたのも記憶に残る。超過死亡が減らないのは、感染症の分類が第5類に移行してワクチンを積極的に打つ人が減り、マスクをし手指殺菌する人が減っているからだろう。感染者は増え、コロナに対する抵抗力が減るのだから当たり前だ。ワクチンのせいで増えているという説はここへ来て完全に覆されたと思う。その説では、ワクチンが打つ人が減っているのだから、ワクチンのせいであれば超過死亡は減る理屈だが、そうなっていないではないか。
2025年日本映画 監督・小泉堯史
ネタバレあり
江戸時代の医療の偉人について描いた作品に「華岡青洲の妻」があり「赤ひげ」がある。「赤ひげ」の監督者・黒澤明の弟子に相当する小泉堯史が吉村昭の同名小説を映像に移した時代劇医療映画である。実話ものという意味では「華岡青洲の妻」に近い。本作にも少し関連する「蘭学事始」に関する本格的な映画を観たことがないが、誰か作らないか?
天保年間の備前。疱瘡(天然痘)の凄惨な現場に絶望感に苛まれる福井藩の町医者・笠原良策(松坂桃李)が偶然蘭方医・大武了玄(吉岡秀隆)と出会い、西洋医学の可能性を瞠目し、京都の蘭方医・日野鼎哉(役所広司)に弟子入りする。
そこで牛痘を利用した種痘という画期的な予防策を知るが、鎖国が大きく邪魔をする。鎖国がなくても当時の痘苗が長持ちしなかったから、笠原などの奮闘がなければ日本における種痘は数十年遅れたのではないか。
凡そ10年後(Wikipediaの情報に基づく)長崎から牛痘の瘡蓋を得た日野が長女に行った種痘が成功し、これを子供たちを通して繋ぐことで痘苗を絶やすまいと考えた笠原は、江戸にいる藩主松平春嶽の許可を得て福井に種痘所を設置した上で、地元の商人の子供たちを獲得するに成功するが、折悪く季節が真冬で京都から福井に抜ける山で関係者全員が遭難しかかる。
周囲の各宿屋の協力を得てこの難儀をくぐり抜けて喜ぶ笠原を迎えた糟糠の妻千穂(芳根京子)の顔が冴えない。恐怖とデマに踊らされた町民が引き受けないのである。これに事なかれ主義の役人が絡んでいることに気付いた彼は、藩の重職三人に嘆願書を届け、結局受け入れられる。
この古い小説がこのタイミングで作られた理由の一つは、反ワクチンという一見科学に基づいた陰謀論に危機感を覚えた人物が製作関係者にいたのではないかと思う。
反ワクチン主唱者に医学者がいることで勇気を得ている人も多いのだろうが、僕の知る限り彼らは医者と言っても感染症の専門家でもワクチンの研究家でもなく、アウトサイダーばかりである。医学を勉強していても所謂疑似科学の域を出ないのだ。その一人に厚労省の前で【超過死亡が20万に及ぶ】のデータを根拠に“こいつらは20万人を殺した”とアジった人物がいるが、何と言うことはなく、コロナで20万人近くが死んだだけの話である。コロナ・ワクチン技術の完全なる確認まで待っていたら死者は100万人くらいまで行ったのではないか(第1次大戦前後のスペイン風邪の、世界人口18億人に対する恐ろしい死亡者推定数5000万人~1億人を見よ。これを現在の日本の人口に当てはめると、350万~700万人。この時日本の死亡者が約38万人と相対的に少なかったのは今ほどグローバルでない時代の島国だったからだろう)。
2000人ほどのグレイな死亡者がいるのは事実であり、インフルエンザのワクチン被害が年10件前後であることを考えると確かに多い一方、確率を比較した時に1億近い人が少なくとも1回は打ってこの程度で済むなら少ないとさえ僕は思う。致死率の3乗くらいの死者が出てぎりぎり妥当と僕は思う(致死率が10倍であれば、1000倍のワクチン被害者)。血液製剤の薬禍と同列に扱うことはできないだろう。
本作の描き方では、藩の役人がそういうデマを吹き込みチンピラを雇って種痘廃絶に向けて暗躍したように見えるが、そうでなくても、この時代の人が種痘を恐れるのは科学的知識が皆無に等しいから仕方がない。役人が動かなくてもそういう現象が起きたことはある程度予想できる。
とにかくこの映画を観た後の、物語から得た感想は、コロナでワクチンを完成させた医学者・ワクチン開発者に感謝してもしきれないということである。反ワクチンなどとんでもない。
映画は時代劇らしくきっちりと落ち着いたカメラで撮っているのに好感が持てるが、実際には10年ほどの年月が経っていることを考えると、描出に経年をほぼ感じさせることがないのは弱い。最初のエピデミックで唯一生き残った少女はつ(三木理紗子)が受けさせる為に自分の子供を連れて現れたところに時間を感じる程度である。
山越えのシーンはなかなかのスペクタクルだが、子供の姿が見えないように見えたのはどうか。
僕の友人に反ワクチンに染まっている人がいる。メールでやり取りをしている時には凄い鼻息だったが、電話で僕が色々データを出すうち、上の2000人について“グレイ”という言い方に落ち着いたのは良かった。まだ反ワクだろうが、悪くない反応だ。 保険会社の担当女性と反ワクの話をした時に “コロナかワクチンのどちらかで死ぬのなら、 自分はワクチンの方が良い” と言っていたのも記憶に残る。超過死亡が減らないのは、感染症の分類が第5類に移行してワクチンを積極的に打つ人が減り、マスクをし手指殺菌する人が減っているからだろう。感染者は増え、コロナに対する抵抗力が減るのだから当たり前だ。ワクチンのせいで増えているという説はここへ来て完全に覆されたと思う。その説では、ワクチンが打つ人が減っているのだから、ワクチンのせいであれば超過死亡は減る理屈だが、そうなっていないではないか。
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