映画評「カーテンコールの灯」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2024年アメリカ映画 監督アレックス・トンプスン、ケリー・オサリヴァン
ネタバレあり
WOWOWは毎年カンヌ、ヴェネツィア、ベルリン映画祭の特集を組むが、毎月5本くらいプログラムされる【ワールド・シネマ・セレクション】のほうが肌に合う作品が多い。一昨日から続く3本はいずれも上質で、もっと☆★を多くしたい気持ちも排除できないほど。
本作はアメリカの典型的なインディ映画で、男性が観ることをお勧めしかねるところがなくもなかった佳作「セイント・フランシス」(2019年)のアレックス・トンプスンが、その主演者(兼共同脚本)ケリー・オサリヴァンと共同で監督したホーム・ドラマである。
工事現場で働くダン(キース・カプフェラー)はどうも仕事に集中できず、通行する車のドライヴァーなどともめ事を起こすことも多い。同じように騒音に文句を言いに来た初老婦人リタ(ドリー・デ・レオン)とも一悶着あるものの、彼女はダンの様子が気になって、彼女が出演する「ロミオとジュリエット」の素人演劇の現場に連れて来て、やがて彼をメンバーに加える。
妻シャロン(タラ・マレン)もさることながら、娘デイジー(キャサリン・マレン・カプフェラー)もかなり荒れてい、高校で教師に暴言を吐いて停学処分を喰らう。彼女をセラピーに通わせる一方、やがて家族三人で弁護士と会う場面が出て来る。この面会により一家を分裂させる原因となった事件が一年前の長男の自殺であることが判って来る。
そして、今度は悶着を抱えている相手家族とその弁護士を交えた面会により、その長男の死が心中未遂であり、相手の少女クリスティーネ(リア・キュビレーテ)が生き延びた為に、ダンとその家族が余計に苦しんでいる現状を明らかになる。
ここでこの映画が取り上げる劇が「ロミオとジュリエット」である意味が出て来る。ロミオが死んだ後ジュリエットが後追い自殺する。息子の死に苦しむダンはこの結末を気に入らないと文句を付ける。
周囲は彼の実情を考え、彼をロミオに抜擢する。これによりダンは大いに苦しむわけだが、しかるにその結果糾弾しかけたところで彼は合議の場でクリスティーネに対し “君に罪はない” と言うのである。それがシャロンには苦痛になたりするものの、彼のロミオを見てその憂悶を解くのである。
演劇が家族一人一人を苦悶から解き放っていく再生劇と言うべし。シャロンの涙は自殺するロミオを演じきれた夫の再生への涙だろう。しかも、ダンの言葉によりクリスティーネそしてその母の憂鬱を和らげていくはずである。
「ロミオとジュリエット」では二人の死が対立する家の葛藤を終了させるが、本作では若者の心中(未遂)が家族に対立を齎す。しかし。「ロミオとジュリエット」がその解消にもなっていく。
再生劇として型通りと言えなくもないが、「ロミオとジュリエット」を軸とした丁寧な作劇に好感を覚える。お話の焦点が合うまでやや舌足らずの印象を抱かせるものの、それも計算のうちかもしれない。
学校で演劇をやっていた娘が父親に見せるのが「ロミオ+ジュリエット」(1996年)なのには少々がっくり。舞台を携帯も普及し始めた(当時の)現代にすると手紙の扱いなどお話に無理が出て来る。
2024年アメリカ映画 監督アレックス・トンプスン、ケリー・オサリヴァン
ネタバレあり
WOWOWは毎年カンヌ、ヴェネツィア、ベルリン映画祭の特集を組むが、毎月5本くらいプログラムされる【ワールド・シネマ・セレクション】のほうが肌に合う作品が多い。一昨日から続く3本はいずれも上質で、もっと☆★を多くしたい気持ちも排除できないほど。
本作はアメリカの典型的なインディ映画で、男性が観ることをお勧めしかねるところがなくもなかった佳作「セイント・フランシス」(2019年)のアレックス・トンプスンが、その主演者(兼共同脚本)ケリー・オサリヴァンと共同で監督したホーム・ドラマである。
工事現場で働くダン(キース・カプフェラー)はどうも仕事に集中できず、通行する車のドライヴァーなどともめ事を起こすことも多い。同じように騒音に文句を言いに来た初老婦人リタ(ドリー・デ・レオン)とも一悶着あるものの、彼女はダンの様子が気になって、彼女が出演する「ロミオとジュリエット」の素人演劇の現場に連れて来て、やがて彼をメンバーに加える。
妻シャロン(タラ・マレン)もさることながら、娘デイジー(キャサリン・マレン・カプフェラー)もかなり荒れてい、高校で教師に暴言を吐いて停学処分を喰らう。彼女をセラピーに通わせる一方、やがて家族三人で弁護士と会う場面が出て来る。この面会により一家を分裂させる原因となった事件が一年前の長男の自殺であることが判って来る。
そして、今度は悶着を抱えている相手家族とその弁護士を交えた面会により、その長男の死が心中未遂であり、相手の少女クリスティーネ(リア・キュビレーテ)が生き延びた為に、ダンとその家族が余計に苦しんでいる現状を明らかになる。
ここでこの映画が取り上げる劇が「ロミオとジュリエット」である意味が出て来る。ロミオが死んだ後ジュリエットが後追い自殺する。息子の死に苦しむダンはこの結末を気に入らないと文句を付ける。
周囲は彼の実情を考え、彼をロミオに抜擢する。これによりダンは大いに苦しむわけだが、しかるにその結果糾弾しかけたところで彼は合議の場でクリスティーネに対し “君に罪はない” と言うのである。それがシャロンには苦痛になたりするものの、彼のロミオを見てその憂悶を解くのである。
演劇が家族一人一人を苦悶から解き放っていく再生劇と言うべし。シャロンの涙は自殺するロミオを演じきれた夫の再生への涙だろう。しかも、ダンの言葉によりクリスティーネそしてその母の憂鬱を和らげていくはずである。
「ロミオとジュリエット」では二人の死が対立する家の葛藤を終了させるが、本作では若者の心中(未遂)が家族に対立を齎す。しかし。「ロミオとジュリエット」がその解消にもなっていく。
再生劇として型通りと言えなくもないが、「ロミオとジュリエット」を軸とした丁寧な作劇に好感を覚える。お話の焦点が合うまでやや舌足らずの印象を抱かせるものの、それも計算のうちかもしれない。
学校で演劇をやっていた娘が父親に見せるのが「ロミオ+ジュリエット」(1996年)なのには少々がっくり。舞台を携帯も普及し始めた(当時の)現代にすると手紙の扱いなどお話に無理が出て来る。
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