映画評「でっちあげ~殺人教師と呼ばれた男」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2025年日本映画 監督・三池崇史
ネタバレあり

東京のアパートの契約を解除し、敷金を受け取りに一時的に戻っていた群馬から上京した帰りに鉄道公安官にキセルの冤罪を受け、1時間ほど留置された。その言動を思い出すだに腸が煮えくり返る思いがするが、本作主人公の苦悩はその比ではない。

日本では実話ましてネガティヴなものは映画化されないと言ってきたが、本作は名前以外はほぼ事件そのものであることが、Wikipediaの詳細により確認できた。日本では実話ものと言いつつ実名で出して来ないのが迫力を殺ぐ原因になっているというのが持論ではあるものの、本作のような無名の庶民に対して人権の問題が発生する可能性が高い場合は致し方ない。有名人であれば実名にした方が良いが、日本では政治事件の映画化はまずないので、無用の問題点指摘という感じになっている。

今世紀の初め、ある小学校の男性教師・綾野剛が、家庭訪問をした後、その一家から糾弾され、学校での謝罪、教育委員会により処分を経て民事裁判の被告になる。祖父がアメリカ人であることを根拠に生徒は “血が穢れている” と差別され、それ以前に生徒は綾瀬から激しい体罰を受けたというのである。身に憶えのない彼は、勝ち目のない裁判を引き受ける庶民派弁護士・小林薫を探し出し、“やっていないことはやっていない”と徹底抗戦することを決意する。

大体においてこの手は学校と教育委員会が生徒に対してひどすぎるのだが、本作の場合は定年退職を間近に控えた校長・光石研が自らの保身の為にやっていないと主張する彼に無理やりに謝らせる。
 僕はこの時点で “こういうことをしちゃいかんのよ” と心の中で思ったが、これにマスメディアが乗って過剰な “加害者” 責めを行い、 図に乗った “被害者” 一家が500人もの弁護士をつけて損害賠償を求めるのである。

映画はまず一家の母親・柴咲コウの主張に沿って話を進める。これを信ずれば、教師はとんでもない悪党であるが、要はマスメディアや他の大衆は彼女の証言即ちこのアヴァンタイトルの内容を全面的に信じたわけである。
 ここからがいよいよ本番で、今度は綾野の回想のような形で進行するので、映画は「羅生門」のようになっていくのかと思いきや、既に冤罪が確定している事件なので、こちらを軸に自称 “被害者” 一家が如何に理不尽な言動を取るかという立場で見せていく。

“加害者”を唯一理解しようとする生徒の母親が柴咲 “モンスター・ペアレント” コウの嘘の証拠を提示してくる。映画はこの主婦が何を言ったか一切説明しないものの、僕は彼女の祖父がアメリカ人というのが嘘なのだろうと瞬時に考え、現に小林弁護士がそこをついていく。少なくとも差別の材料がなかったことになるわけだが、体罰を見た人が一人もいないことも明らかにされる。
 彼女が幼少時に母親のネグレクトに遭い、同級生に英語がペラペラの優秀な帰国子女がいたことで、自分が彼女その人であるかのような妄想を抱いたことは解るが、それが綾野に対する攻撃にどう連絡するかについては些か飛躍がある。しかし、ある程度想像はできる。自分の期待に沿わないADHD気味の息子のついた嘘で自分や息子の実力を糊塗しようとする心理が働き、その瞬間家庭訪問(日程の時点で既に嘘をついている)をネタにすることを思いつくわけである。
 この辺の見せ方はサイコパス映画の感覚で脚色されてい、ホラー的な映画も少なくない三池高史監督らしく巧く進めている。

実際に沿っているかどうか知らないが、主人公の糟糠の妻・木村文乃を亡き人にしてしまう幕切れは余り好かない。実際であっても、冤罪を完全に晴らしたことを主人公と一緒に喜ばせるべきだったと思う。

最近のひどい冤罪と言えば、大河原化工機の事件。あれは裁判所も悪いね。

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