映画評「六つの顔」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2025年日本映画 監督・犬童一心
ネタバレあり

中学1年の国語の授業で「柿山伏」という狂言の音声を聞いた。高校の時に「羽衣」という能を観た。
 狂言は中一の僕でもほぼ全ての言葉が理解でき、実に可笑しく笑い転げたものだ。対して、能はまるで言葉の意味が理解できなかった。狂言や能が室町時代に成立したことを聞いて、子供の頃から言葉に対して深い関心を持っていた僕は、中学生にして、室町時代の庶民は古文で習う言葉(文章語 ≒ 上流階級の言葉)とは大分違う現代風に話していたのだなと察し、それを根拠に、 遡って鎌倉時代くらいに口語と文章語の明確な分岐があったのではないかと考えた。

半世紀ほど前、ネスカフェの “違いがわかる男” のCMシリーズに狂言師の野村万作が出ていたのを憶えている。その万作さんが93歳の姿を見せるのがこのドキュメンタリーである。監督は劇映画の犬童一心。古典芸能に興味があったのか? 

野村万作が父・六代目万蔵の芸境に全く及ばないことを話す一方で、息子・萬斎や孫・裕基からの万作の芸に対する言及も盛り込まれる。この辺は我々のような芸から遠い大衆庶民には皮膚感覚では理解できないものがありまする。

82分ほどの尺のうち30分ほど記念公演での座頭狂言「川上」がカラーで丸ごと観ることが出来るのは良いことではありますまいか。その内容は以下の如し。

俄かに失明した吉野の老人(万作)が、即座に目を直してくれる地蔵菩薩が川上のある場所におわしますと、事前に糟糠の妻(萬斎)と相談の上で一人で出かける。現在の感覚では盲目の老人を一人で遠方まで徒歩の旅に出させるのは妙であるが、そこは狂言、枝葉末節に属する。帰郷した老人はすっかり目が見えるようになるものの、地蔵様に悪縁の妻と離婚しないと再び見えなくなると告げられたと妻に告白する。妻の逆襲を食らった老人は、なら仕方がないと盲目になる道を選び、妻と一緒に家路に向う。
 目と妻のどちらを選ぶかと迫られる老人のジレンマが寧ろ笑いの要素となっているが、最終的には夫婦愛の物語と言うべし。地蔵様が老人の愛情を試したのかもしれませんな。

映画のほうは、父親に対する “まっすぐな芸” という評価を自分の芸境としたいと、万作が語って全巻の終わり。日本の古典芸能に興味がある方は是非。

多羅尾伴内(七つの顔の男)じゃないよ。

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