映画評「Dear Stranger/ディア・ストレンジャー」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2025年日本=台湾=アメリカ合作映画 監督・真利子哲也
ネタバレあり
真利子哲也という監督は暴力を核として作るから、僕が観た今までの作品の中で一番その気分が薄い印象とは言え、本作でも暴力は重要な要素となっている。
台湾系米国人グイ・ルンメイと結婚している日本人の建築(廃墟)研究家・西島秀俊は、4歳になる息子カイ(エヴェレスト・タルデ)を大変可愛がっている。そんな一家の前に彼女の前の恋人が静かに(方法は激烈に)絡んで来、遂にはカイを誘拐してしまう。
という流れから、カイ少年が西島の実子ではなく、その男の子供というが早々に(誘拐の前から)理解できる。
その前から浮かび上がっていた夫婦間の価値観の違い(夫君の方が家族重視)がこの件により明確になっていき、やがて西島が犯人を確信した自動車修理工場店主娘のボーイフレンド(細君の前の恋人でもある)に迫り、殴打の末に(西島家の車から男が盗んだ拳銃で)銃撃される。車で逃走した男はアジトのようにしている廃校に戻った後自らの銃で死ぬ。カイ君が倒れている男の手にあった拳銃に触るうち暴発する。
廃校での死亡事件を捜査する刑事クリストファー・マンの執拗の追及に、既に自らの人生に失望していた西島は自首する。
ミステリー的に言うと、ここはちょっと曖昧に過ぎる。
映画は彼の自首後に、男が拳銃自殺して倒れたところへカイ君が現れる、という真相(?)を明かすショットを挿入するが、すると発射された弾丸は3発であり、それを刑事がどう考えているか全く不明なのである。自分の人生に忸怩たるものを覚えた西島が文学的な意味で男を “殺した” として自首しても、拳銃をいじったわけではないから、刑法的には微罪に終わらなければ気持ち悪い。日本ならピストルを持っているだけで犯罪になるが、アメリカでは違う。仮に殴打により死んでいたとしても正当防衛に当たるだろう。刑事が何の容疑で彼を逮捕するのか理解しにくい。
子供が慕って来る環境下でやってもいない犯罪で主人公が自首し、主人公の家族観のほうが否定されるような終わり方はすっきりしない気がする。
キーワードは廃墟で、主人公の研究対象が廃墟、事件が起きるのが廃校という符号は面白い。異国で暮らす母語を別とする者同士の真のコミュニケーションの難しさを一部で主題的に表現しつつ、廃墟を通奏低音としてそれが有機的にストーリーとして組み立てられていない憾みがあり、モヤモヤする。表現が舌足らずという言い方でもいいかもしれない。画面が結構強い映画だから勿体ない印象を覚える次第。
日本人も台湾人もトランプ政権のうちはアメリカに行かない方がよろし。アメリカは入国者のメールやSNSの履歴を入念にチェックするとか言っていたが、本当にやっているのだろうか?
2025年日本=台湾=アメリカ合作映画 監督・真利子哲也
ネタバレあり
真利子哲也という監督は暴力を核として作るから、僕が観た今までの作品の中で一番その気分が薄い印象とは言え、本作でも暴力は重要な要素となっている。
台湾系米国人グイ・ルンメイと結婚している日本人の建築(廃墟)研究家・西島秀俊は、4歳になる息子カイ(エヴェレスト・タルデ)を大変可愛がっている。そんな一家の前に彼女の前の恋人が静かに(方法は激烈に)絡んで来、遂にはカイを誘拐してしまう。
という流れから、カイ少年が西島の実子ではなく、その男の子供というが早々に(誘拐の前から)理解できる。
その前から浮かび上がっていた夫婦間の価値観の違い(夫君の方が家族重視)がこの件により明確になっていき、やがて西島が犯人を確信した自動車修理工場店主娘のボーイフレンド(細君の前の恋人でもある)に迫り、殴打の末に(西島家の車から男が盗んだ拳銃で)銃撃される。車で逃走した男はアジトのようにしている廃校に戻った後自らの銃で死ぬ。カイ君が倒れている男の手にあった拳銃に触るうち暴発する。
廃校での死亡事件を捜査する刑事クリストファー・マンの執拗の追及に、既に自らの人生に失望していた西島は自首する。
ミステリー的に言うと、ここはちょっと曖昧に過ぎる。
映画は彼の自首後に、男が拳銃自殺して倒れたところへカイ君が現れる、という真相(?)を明かすショットを挿入するが、すると発射された弾丸は3発であり、それを刑事がどう考えているか全く不明なのである。自分の人生に忸怩たるものを覚えた西島が文学的な意味で男を “殺した” として自首しても、拳銃をいじったわけではないから、刑法的には微罪に終わらなければ気持ち悪い。日本ならピストルを持っているだけで犯罪になるが、アメリカでは違う。仮に殴打により死んでいたとしても正当防衛に当たるだろう。刑事が何の容疑で彼を逮捕するのか理解しにくい。
子供が慕って来る環境下でやってもいない犯罪で主人公が自首し、主人公の家族観のほうが否定されるような終わり方はすっきりしない気がする。
キーワードは廃墟で、主人公の研究対象が廃墟、事件が起きるのが廃校という符号は面白い。異国で暮らす母語を別とする者同士の真のコミュニケーションの難しさを一部で主題的に表現しつつ、廃墟を通奏低音としてそれが有機的にストーリーとして組み立てられていない憾みがあり、モヤモヤする。表現が舌足らずという言い方でもいいかもしれない。画面が結構強い映画だから勿体ない印象を覚える次第。
日本人も台湾人もトランプ政権のうちはアメリカに行かない方がよろし。アメリカは入国者のメールやSNSの履歴を入念にチェックするとか言っていたが、本当にやっているのだろうか?
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