映画評「ユニバーサル・ランゲージ」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2024年カナダ映画 監督マシュー・ランキン
ネタバレあり

実験映画出身のカナダの監督マシュー・ランキンの不条理劇である。厳密には不条理というよりやはりそこはかとなく実験が行われる映画である。

カナダ西部に実在するウィニペグという都市が舞台。そこではペルシャ語が公用語となっている。フランス語も通じる。
 まず、眼鏡を七面鳥に奪われた小学生男児オミッドの為に同級生の女児ネギン(ロジーナ・エスマエリ)と姉ダラ(ダラ・ナジマバディ)が路面の氷の下に発見した札を掘り出して眼鏡を買う為にしようと斧を探すのに奔走する。
 という辺りは、いかにもイラン映画の秀作「友だちのうちはどこ?」風のお話で、ランキンや作劇・出演に協力したイラン出身のピルーズ・ネマティやイラ・フィールサバディ(バスの女運転手役)はかの作品辺りをパロディー的に扱ったような気がする。

開巻から16分くらいして映画は主人公を入れ替え、真の主人公マシュー・ランキン(本人)を登場させる。
 彼はモントリオールを去り老母の暮らすウィニペグに戻り、早々にネギン姉妹から父親の墓にたむける花束を譲られることで他方の主人公とすれ違う。母が去った実家に暮らすペルシャ人夫婦は非常に親切で、現在母親と暮らしているペルシャ人マスード(ネマティ)の暮らす地区へ送ってくれる。マスードはツアーガイドをしている。仕事は甚だつまらないが、やはり親切に迎え入れる。

映画はここでかなり実験的な扱いをしていて、マスードはマシューに話をする時に認知症を発生して二人を混同する母親の立場で語り、“私” と “あなた” が頻繁に入れ替る。それを突然映像でもやるのが実験的である所以でござる。その前に同じ部屋が左右対称に交互に映じられる(フィルムなら裏返しで投影していることになる)モントリオールでの場面も実験的。

登場人物のそこはかとなくコミカルな扱いや町の捉えにはジャック・タチの影響が見られるが、縦の構図がほぼゼロで横の構図と横移動の多用はウェス・アンダースン風である。

さてさて、夕方まで奔走していたネギンは斧を諦めてお湯で溶かせば良いことに気づくが、お湯を親切なランキンに持たせて現場へ行くとお金は既に奪われている。しかし、ダラはオミッド君の眼鏡を引きずっている七面鳥を発見して奪還、姉妹で家を訪れるとその父マスードがお金を奪っが張本人であることに気付く。ここで瞬間的にランキンとネマティが互いの役を演じるのである

内容にはノルウェーのベント・ハーメルを思い出す瞬間もあり、実験性の強さはルイス・ブニュエル(「欲望のあいまいな対象」で一人の役を二人の女優にやらせた例がある)を思い出させたりもする。

あるサイト管理者がランキンについて“白人役を東洋人に演じさせた実験映画を作った”と紹介しているのを読んだが、十年以上前からDEI絡みで英国の時代劇や戦前ドラマでは日常茶飯事的に行われている。しかるに、それを実験と感じる管理者の映画観のほうが正しいわけで、映画では映画的実験とお笑い以外の目的で人種を越える配役を認めるべきではない。舞台と映画では観客層も対象に向かう観客の意識も違うからだ。ドイツ語原作の映画を英語(英米人)で作るだけで文句を言う映画ファンすらいる。しかし、それは極端すぎて、やはりダメだ。

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