映画評「国宝」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2025年日本映画 監督・李相日
ネタバレあり
今年の4月までおよそ10か月のロングランとなった話題作が先日プライム会員に無償配信の運びとなったことに気付いて、やっと観ました。
3時間近い上映時間ながら、極端なほど起伏のある大衆的な芸道ものに仕上げられていて退屈するところはなかった。どちらかと言えば大袈裟すぎると思うが、可でありましょう。僕は歌舞伎の台本を100作近く読んでいるが、勿論、本作を理解するにそんなことは全く必要ない。
お話を全く知らなかったので、冒頭が任侠場面だったのでビックリ。
組長の父親を殺されて孤児になった少年・喜久雄は、その現場で彼の歌舞伎舞踊を観て才能を確信した二代目花井半二郎(渡辺謙)に引き取られ、その息子・俊介と共に厳しく鍛えられ、数年後には二人は「二人藤娘」「二人道成寺」で見事な踊りを披露し、切磋琢磨し合って歌舞伎の女形の道を邁進していく。
しかし、半次郎が交通事故で「曽根崎心中」の舞台に立てなくなった時に、代役に才能では一段優る喜久雄(吉沢亮)が選ばれた為、嫉妬と絶望にかられた俊介(横浜流星)は観客席を立つ。喜久雄の幼馴染で恋人の春江(高畑充希)がその後を追う。
ここのカット・バックに大いに痺れた。舞台では「曾根崎心中」の道行が繰り広げられ、舞台の外では俊介と春江が道行を敢行している。大衆にも解りやすいお話のオーヴァーラップと言うべし。
春江の行動に唐突な感があるも、喜久雄が他所に女を囲い娘まで設けている状態で、後に彼がその娘に言うように歌舞伎以外の全てを捨てている現状に自身がいたたまれなくなったのだと推測するのはそう難しくない。
その間に半次郎は糖尿病を病み、自らは四代目白虎を名乗って、三代目半次郎を喜久雄に継がせることを決意する。程なく白虎は亡くなるが、やがて俊介がどさ周りから戻るや周囲は態度を急変させる。彼が女形の国宝小野川万菊(田中泯)にまで優遇されると共に、半次郎こと喜久雄は、極道の息子であり隠し子までいるスキャンダルが表沙汰になって歌舞伎界から干される。
“才能より血筋” という梨園観を持つ興行営業マン(三浦貴大)の言が正しかったことが証明された形で、三代目は歌舞伎役者大御所が勘当した娘・彰子(森七菜)と共にどさ周りを続けるが、大御所がかつて語ったように時が来れば人は忘れるの伝で万菊に呼び戻されて実力を大いに発揮するうち、俊介転じて半弥転じて五代目白虎は父親と同じ糖尿病を発症、片脚を切断した後「曾根崎心中」でおはつ役を演じ切って絶命する。
それから二十年程経ち三代目は人間国宝の栄誉を得る。
そこに現れた一人の女性カメラマン(瀧内公美)と三代目のやり取りも面白い。実は彼女は娘である。「ファウスト」よろしく悪魔と約束を交わし、うまい歌舞伎役者になること以外は何も要らないと父親に告げられた娘である。娘は“父親と思ったことはない”と言いつつ、最後に“おとうちゃん、実現したな”と述べる。この時の娘の心境はいかなるものか。素直にその芸の素晴らしさを認めつつ、その言葉に皮肉はなかったか、という問題が残る。
最後、父親が雪の中で死んでいった景色とは違う、舞台の美しい雪の風景に彼は感嘆する。この呼応ぶりが見事である一方、芸道を究めることで他の人間を犠牲にしてきた彼の人生に対して切なく感じる気持ちが生じないわけでもなく、僕は実は涙していた。
劇中劇の舞台模様に没入する。TVの舞台中継よりさすがに映画的でダイナミックなアプローチがされていると思う。
吉沢亮は見事な好演。横浜流星と併せて、今年度の我が男優賞を二人に捧げそうな気がする。
原作は李相日に何度か採用されている吉田修一。しかし、犯罪ものより、「フラガール」(2006年)も好調だったように、李監督は芸能ものと相性が良いのかもしれない。
歌舞伎には狂言と舞踊の二つがあるデス。
2025年日本映画 監督・李相日
ネタバレあり
今年の4月までおよそ10か月のロングランとなった話題作が先日プライム会員に無償配信の運びとなったことに気付いて、やっと観ました。
3時間近い上映時間ながら、極端なほど起伏のある大衆的な芸道ものに仕上げられていて退屈するところはなかった。どちらかと言えば大袈裟すぎると思うが、可でありましょう。僕は歌舞伎の台本を100作近く読んでいるが、勿論、本作を理解するにそんなことは全く必要ない。
お話を全く知らなかったので、冒頭が任侠場面だったのでビックリ。
組長の父親を殺されて孤児になった少年・喜久雄は、その現場で彼の歌舞伎舞踊を観て才能を確信した二代目花井半二郎(渡辺謙)に引き取られ、その息子・俊介と共に厳しく鍛えられ、数年後には二人は「二人藤娘」「二人道成寺」で見事な踊りを披露し、切磋琢磨し合って歌舞伎の女形の道を邁進していく。
しかし、半次郎が交通事故で「曽根崎心中」の舞台に立てなくなった時に、代役に才能では一段優る喜久雄(吉沢亮)が選ばれた為、嫉妬と絶望にかられた俊介(横浜流星)は観客席を立つ。喜久雄の幼馴染で恋人の春江(高畑充希)がその後を追う。
ここのカット・バックに大いに痺れた。舞台では「曾根崎心中」の道行が繰り広げられ、舞台の外では俊介と春江が道行を敢行している。大衆にも解りやすいお話のオーヴァーラップと言うべし。
春江の行動に唐突な感があるも、喜久雄が他所に女を囲い娘まで設けている状態で、後に彼がその娘に言うように歌舞伎以外の全てを捨てている現状に自身がいたたまれなくなったのだと推測するのはそう難しくない。
その間に半次郎は糖尿病を病み、自らは四代目白虎を名乗って、三代目半次郎を喜久雄に継がせることを決意する。程なく白虎は亡くなるが、やがて俊介がどさ周りから戻るや周囲は態度を急変させる。彼が女形の国宝小野川万菊(田中泯)にまで優遇されると共に、半次郎こと喜久雄は、極道の息子であり隠し子までいるスキャンダルが表沙汰になって歌舞伎界から干される。
“才能より血筋” という梨園観を持つ興行営業マン(三浦貴大)の言が正しかったことが証明された形で、三代目は歌舞伎役者大御所が勘当した娘・彰子(森七菜)と共にどさ周りを続けるが、大御所がかつて語ったように時が来れば人は忘れるの伝で万菊に呼び戻されて実力を大いに発揮するうち、俊介転じて半弥転じて五代目白虎は父親と同じ糖尿病を発症、片脚を切断した後「曾根崎心中」でおはつ役を演じ切って絶命する。
それから二十年程経ち三代目は人間国宝の栄誉を得る。
そこに現れた一人の女性カメラマン(瀧内公美)と三代目のやり取りも面白い。実は彼女は娘である。「ファウスト」よろしく悪魔と約束を交わし、うまい歌舞伎役者になること以外は何も要らないと父親に告げられた娘である。娘は“父親と思ったことはない”と言いつつ、最後に“おとうちゃん、実現したな”と述べる。この時の娘の心境はいかなるものか。素直にその芸の素晴らしさを認めつつ、その言葉に皮肉はなかったか、という問題が残る。
最後、父親が雪の中で死んでいった景色とは違う、舞台の美しい雪の風景に彼は感嘆する。この呼応ぶりが見事である一方、芸道を究めることで他の人間を犠牲にしてきた彼の人生に対して切なく感じる気持ちが生じないわけでもなく、僕は実は涙していた。
劇中劇の舞台模様に没入する。TVの舞台中継よりさすがに映画的でダイナミックなアプローチがされていると思う。
吉沢亮は見事な好演。横浜流星と併せて、今年度の我が男優賞を二人に捧げそうな気がする。
原作は李相日に何度か採用されている吉田修一。しかし、犯罪ものより、「フラガール」(2006年)も好調だったように、李監督は芸能ものと相性が良いのかもしれない。
歌舞伎には狂言と舞踊の二つがあるデス。
この記事へのコメント
冒頭の雪の場面、そしてラストの雪の場面。すばらしかったです。
ただ、ほんものの歌舞伎役者のすごさをあらためて思い知らされる映画でもありましたね。
映画で歌舞伎役者を演じるからというので、ここまでやれてしまう役者もすごいです。
>少年マンガ的わかりやすさ
うるさ型の中にこの辺りを批判する人もいますが、無理がない内容だったように思います。面白かった。
>冒頭の雪の場面、そしてラストの雪の場面。すばらしかったです。
僕もこれは素晴らしいと思いましたねえ。美しいだけではなく、戦前から使われてきた、暴投と幕切れの呼応ぶりが、実に良いです。
>映画で歌舞伎役者を演じるからというので、ここまでやれてしまう役者もすごいです。
そう思いました。
日本の娯楽映画は昔、こういうところに甘さを感じることがままありましたが、最近の邦画娯楽作は本物志向になってきましたね。