映画評「コレット」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2018年イギリス=アメリカ=ハンガリー=ベルギー合作映画 監督ウォシュ・ウェストモアランド
ネタバレあり

僕にとってはコレットと言えば「青い麦」である。原作も映画も瑞々しく素晴らしかった。

19世紀のフランス女性作家ジョルジュ・サンドは男性名で発表せざるを得ず、20世紀のコレットは暫く15歳年上の夫アンリ・ゴーティエ=ヴィラ―ル(ドミニク・ウェスト)のゴーストライターたるを得なかった。本作は1906年の離婚周辺までの、そうした雌伏時代の彼女を描いた伝記作品である。

彼がウィリーの名で出した「クローディーヌ」シリーズは髪形、化粧品、衣装に影響が及び、所謂社会現象を引き起こす大ヒットとなる。夫は女癖が悪くて浪費家である。バイセクシャルで同性愛の傾向が強かったコレットはその愛人の一人とも関係を結び、変てこな三角関係の末に破綻するも、したたかにその経験を小説に取り込んでいく。
 その後も男装の貴族未亡人ミッシー(デニーズ・ゴフ)との恋愛関係になり、舞台で活躍する。浪費家でもある夫は破産状態になり、無断で「クローディーヌ」シリーズの版権を売り、これが二人の仲の決定的な終焉理由となる。

20世紀前半フランスで最も有名な女流作家のコレットなら伝記映画ができても不思議ではないが、比較的最近まで同性愛は病気か犯罪扱いだったことを考えると、コレットの伝記がまともな形で映画化はできようもなかっただろうから、今世紀に至るまで生々しく映画化された伝記映画がなかったのはむべなるかな。

生々しい内容である一方、上品の印象を伴うのは、監督者が英国出身であることとは無縁ではないと思う。結構きちんと作られている印象があって悪くない。

しかるに、最初のクローディーヌ役にアルジェリア出身という設定の女性を出したり、ウィリーの秘書が黒人だったりするのが、事実であるかどうか不明。この時代だからDEIの為の配役ということも考えられ、事実であってもなくても不要な思考をしなければならないのは、この時代の映画鑑賞者(とりわけ左脳派)の不幸である。スクリーン内に限りDEIは排除しなければ、僕は純粋に洋画に没入できない日々が続くことになる。一部に歓迎する人が見かけるが、映画が好きな人とは思えない。最初から非日常である舞台ではDEIが当たり前だからと言って、観客が現実しか見ない映画に認められると思うのは、芸術論的にずれている。

2010年代くらいから戦前を背景にした洋画(英国映画が筆頭)では画面が信じられないことになってきた。2000年代に主観映像を客観映像にみせかける趣向の為に画面が信じられないスリラー/サスペンス系が流行ったことより深刻である。戦前に人種差別がなかったかのように錯覚する作品も多い。右派の歴史修正主義を批判する左派がある意味同じことをやっている。

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