映画評「ルノワール」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2025年日本=フランス=シンガポール=フィリピン=インドネシア合作映画 監督・早川千絵
ネタバレあり
ディストピア映画「PLAN75」の早川千絵監督の新作。「PLAN75」は暗澹たる未来を描いた物語に興味が行きがちな作品と思うが、本作は断然画面である。お話はよく解らないところが多いものの、画面のフォトジェニックさに唸る。どこのカットをとめても一つの芸術写真になりそうな感さえする。
1980年代後半のある夏。11歳の小学女児フキ(鈴木唯)は想像力に溢れた我が道を行くタイプ。自分が死んで友達に弔われる夢を見たり、神秘主義的な行為に興味を示している。末期癌で入院している会社員の父親(リリー・フランキー)相手にトランプ当ての超能力ごっこをしたり、夫に墜落死(恐らく自殺)された若い未亡人(河合優実)に催眠術をかけたりする。
英語塾で同世代の少女と親しくなり、他人の家を探り回る癖を大いに発揮してこの家の父親の浮気写真を発見、意地悪なことに、ゲーム形式でその少女に写真を見せたりする。
母親(石田ひかり)は中間管理職に出世するが、厳しい言動がパワハラとされて、研修の名目でコミュニケーションに問題のある人々が参加する自助グループに参加させられる。これを指導するのが美青年の御前崎(中島歩)で、葬儀の準備を進めていた母親は彼によろめいて娘同伴で喫茶店に出かけたりする。
かくして大人の孤独を知ったフキは、伝言ダイヤルで出会いを求める他人のつぶやきを聞き、心理学専攻学生と自称する若者(坂東龍汰)の家に遊びに行く。
個人的に伝言ダイヤルなどというものには縁がなかったが、現在の出会い系サイトのような使い道があったことを初めて知った。実は受験生(浪人生?)にすぎなかったらしい若者はどうもロリコンのようで、いくら天真爛漫な少女でもさすがに危なかしすぎる行動である。
この後から少し解りにくいシーン構成が目立ち始め、若者の家から幸いにも放り出された彼女の彷徨は途中から幻想もしくは心象風景であろう。雨に打たれた彼女を父親が迎えるのは明らかな幻想。父親が亡くなったことと関連する描写とも思われる。
かくして危い出来事でいっぱいだった彼女のひと夏は終わる。少女は人たちの抱える孤独や秘密の存在を知る。これらの経験は大人に近付くのが早めただろう。それは不幸であるという感を覚えるので、成長とは言いたくない。
先日まで観ていたホウ・シャオシェンの映画のように、この作品もスケッチの映画である。主題を構成する流れはあるが、一本の大きな筋はない。
本作を観るうちに想起するのは第一にビクトル・エリセ監督「ミツバチのささやき」だ。キャンプファイヤーを巡るところがあの映画でも印象的だった火を飛び越える場面を直に思い出させるが、この映画の妙な若者に会いに行くのはかの映画のヒロインが逃亡兵に会いに行くところを着想源にしたのかもしれない。昨年観た「ナミビアの砂漠」(山中瑤子監督)でも同作へのオマージュと思われる焚火の場面があったように、1980年代に公開されたかの映画は多感な少女、未来の女性監督たちに大きな影響を残したようである。
もう一本は相米慎二監督の「お引越し」。あの映画も11歳の少女が両親の不仲に当惑する話だったように記憶するものの、お話より、少女の彷徨がかの映画で祭りを訪れた田畑智子の少女が歩く場面を思い出させたのである。
ウィキペディアによれば、影響を受けたと述べた作品として、この二つを含む三作品の名前を監督は挙げたらしい。彼女の発言を読むまでもなく、【論より証拠】の感あり。
早川監督は1976年生まれだから、80年代後半に11歳であるヒロインに自身を相当投影していると推測される。
2025年日本=フランス=シンガポール=フィリピン=インドネシア合作映画 監督・早川千絵
ネタバレあり
ディストピア映画「PLAN75」の早川千絵監督の新作。「PLAN75」は暗澹たる未来を描いた物語に興味が行きがちな作品と思うが、本作は断然画面である。お話はよく解らないところが多いものの、画面のフォトジェニックさに唸る。どこのカットをとめても一つの芸術写真になりそうな感さえする。
1980年代後半のある夏。11歳の小学女児フキ(鈴木唯)は想像力に溢れた我が道を行くタイプ。自分が死んで友達に弔われる夢を見たり、神秘主義的な行為に興味を示している。末期癌で入院している会社員の父親(リリー・フランキー)相手にトランプ当ての超能力ごっこをしたり、夫に墜落死(恐らく自殺)された若い未亡人(河合優実)に催眠術をかけたりする。
英語塾で同世代の少女と親しくなり、他人の家を探り回る癖を大いに発揮してこの家の父親の浮気写真を発見、意地悪なことに、ゲーム形式でその少女に写真を見せたりする。
母親(石田ひかり)は中間管理職に出世するが、厳しい言動がパワハラとされて、研修の名目でコミュニケーションに問題のある人々が参加する自助グループに参加させられる。これを指導するのが美青年の御前崎(中島歩)で、葬儀の準備を進めていた母親は彼によろめいて娘同伴で喫茶店に出かけたりする。
かくして大人の孤独を知ったフキは、伝言ダイヤルで出会いを求める他人のつぶやきを聞き、心理学専攻学生と自称する若者(坂東龍汰)の家に遊びに行く。
個人的に伝言ダイヤルなどというものには縁がなかったが、現在の出会い系サイトのような使い道があったことを初めて知った。実は受験生(浪人生?)にすぎなかったらしい若者はどうもロリコンのようで、いくら天真爛漫な少女でもさすがに危なかしすぎる行動である。
この後から少し解りにくいシーン構成が目立ち始め、若者の家から幸いにも放り出された彼女の彷徨は途中から幻想もしくは心象風景であろう。雨に打たれた彼女を父親が迎えるのは明らかな幻想。父親が亡くなったことと関連する描写とも思われる。
かくして危い出来事でいっぱいだった彼女のひと夏は終わる。少女は人たちの抱える孤独や秘密の存在を知る。これらの経験は大人に近付くのが早めただろう。それは不幸であるという感を覚えるので、成長とは言いたくない。
先日まで観ていたホウ・シャオシェンの映画のように、この作品もスケッチの映画である。主題を構成する流れはあるが、一本の大きな筋はない。
本作を観るうちに想起するのは第一にビクトル・エリセ監督「ミツバチのささやき」だ。キャンプファイヤーを巡るところがあの映画でも印象的だった火を飛び越える場面を直に思い出させるが、この映画の妙な若者に会いに行くのはかの映画のヒロインが逃亡兵に会いに行くところを着想源にしたのかもしれない。昨年観た「ナミビアの砂漠」(山中瑤子監督)でも同作へのオマージュと思われる焚火の場面があったように、1980年代に公開されたかの映画は多感な少女、未来の女性監督たちに大きな影響を残したようである。
もう一本は相米慎二監督の「お引越し」。あの映画も11歳の少女が両親の不仲に当惑する話だったように記憶するものの、お話より、少女の彷徨がかの映画で祭りを訪れた田畑智子の少女が歩く場面を思い出させたのである。
ウィキペディアによれば、影響を受けたと述べた作品として、この二つを含む三作品の名前を監督は挙げたらしい。彼女の発言を読むまでもなく、【論より証拠】の感あり。
早川監督は1976年生まれだから、80年代後半に11歳であるヒロインに自身を相当投影していると推測される。
この記事へのコメント